BIS規制(特に不動産担保の規制)と固定資産税の重税化による地価下落
バブルを崩壊させ、地価を下落させた最初の政策は、1990年3月に始まった不動産向け融資を抑える総量規制なのですが、これは、1991年12月に解除されました。しかし、だからといって、不動産向け融資が緩められたわけではありません。
徹底的に土地資産を無力化させるために、二つの規制が実施されました。
一つは、1993年3月から日本で実施されたBIS規制ですが、1999年7月からは、金融検査マニュアルで、明確に不動産向け融資を規制しています。
BIS規制とは、G10諸国を対象に、自己資本比率8%を達成できない銀行は、国際業務から事実上の撤退を余儀なくされるというものです。日本では、国際基準とは別に、独自に、国内業務のみを行う銀行については自己資本比率を4%という規制を設けました。この規制のせいで日本国内の銀行は、収支が悪化すると自己資本比率4%を確保出来なくなるために、貸し渋りや貸し剥がしをやらざるを得なくなりました。
国内業務専門の金融機関に対しては、各国の事情に合わせて、規制内容を決めれば良く、このような厳しいものにする必要はなかったのですが、なぜか、日本では、国内金融機関に対しても、一行のもれもなく、厳しい基準が適用されました。
1999年7月から金融機関管理行政の中心的役割を担っているものに、金融検査マニュアルというものがあります。
金融庁は日本の全ての金融機関に自己資本比率を守らせるため、金融検査マニュアルをもって指導します。
このマニュアルの意味するところは、
①融資する不動産担保について、不動産収入を除く原資で返済能力があるかどうか
②不動産の価値が普遍性を持っていること
③不動産が賃貸事業用でないこと
この金融検査マニュアルによって、「①融資する不動産担保について、不動産収入を除く原資で返済能力があるかどうか」ということになれば、賃貸事業は排除され、自己用住宅だけが該当することになります。③はそのダメ押しです。
賃貸事業の収益を財源として認めないということになると、ほとんどの不動産の有効利用の道が閉ざされることになります。
賃貸用不動産を取得しようと思えば、間接金融(銀行融資)による資金調達はできませんので、直接金融(株式による資金調達)しかなくなりますが、これはアメリカ資本の最も得意とするところです。日本の全ての不動産賃貸業がアメリカ資本の手中に入りやすくなります。
土地資産を無力化させるために行われた規制のもう一つは、1994年に財務省通達だけで行われた、固定資産税の重税化です。
アメリカは1984年から1990年までの日米構造協議、1993年の日米包括経済協議、1994年から始まる年次改革要望書のいずれにおいても、日本の地価を下げるよう要望していました。日本国内では地価の高騰が企業の担保価値を莫大なものとしていました。また、円の高騰がアメリカの不動産投資に日本から大量の資金を流れ込ませていました。その日本の土地の担保価値を利用し、日本企業が比較的容易に海外投資を行っていたことが日本企業の競争力を高めていたのです。そこで、アメリカが日本経済の力を弱める中心的戦略として着目した点が日本の土地税制でした。
アメリカの要求に屈した日本政府は、1994年(平成六年)に、固定資産税の大増税路線を、国会にかけずに財務省通達だけで実行しました。課税方法の変更による、大増税路線を敷く前は、 自治省の官僚は、「固定資産税は行政サービスの対価」なので、引き上げには賛成していませんでしたが、時の村山政権は、何の議論もせず、アメリカの要求を受け入れ、固定資産税の重税化による地価の下落政策を実行したのです。
これで、バブルの再発防止を口実にして、
①BIS規制(特に不動産担保の規制)
②固定資産税の重税化による地価下落
という日本経済を葬り去る葬式道具が出揃いました。
BIS規制実施については、当時より不動産担保を評価しないことは、日本の実情に合わないという懸念が、有識者等により、いろいろな所で述べられていましたが、バブルの原因が不動産担保への過度の依存にあるという反論を持ち出され、いつの間にか掻き消されてしまいました。バブルの失策は、ほとんど金融政策の失策であり、不動産担保への評価が否定されるのは、バブル総括の方向性が見当違いであると言うべきであって、むしろ、アメリカの意向を受けた、地価下落を推進する故意が働いているとしか思えません。