■半導体摩擦
85年秋の半導体日米交渉に関する「チップウォー」(フレッド-ウォーシェフスキー著・株式会社経済界刊)での裏話は衝撃的です。商務省のプレストウィッツが交渉のさ中の時期、夜中に相手の通産省幹部に極秘で呼び出されて「通産省なら行政指導によって20%のシェアを保証できる」と持ちかけられたのだそうです。これが悪夢の始まりでした。悪かろうが高かろうがいらない種類だろうが「とにかく2割を買え」という、とんでもない条項を呑まされたのです。
交渉中の反対派は通商政策局、推進派は機械情報局です。そしてその推進派の意図は、通産省の行政指導に従わなくなった「半導体産業という暗黒大陸を征服する絶好の手段」として利用するためだった
棚橋祐二氏は、日米摩擦に関する様々な局面に登場するキーパーソンです。モトローラのガルビン氏が日米摩擦について書いた「日本人に学び日本に挑む」で、86年5月における20%押し売り受け入れの合意成立に尽力したのが棚橋氏であり、「対米交渉の前線部隊長」として、アメリカ側との交渉を仕切ったことを本人が認めています。つまり、現地での相手方との接触や情報収集を牛耳って、交渉を左右する立場にあった訳です。
さらに彼には、類似する行動の実例があるのです。89年のスーパー301条において、「トロン教育パソコン」がアメリカの圧力によって潰された時、孫正義氏と組んで、裏でトロン潰しに画策したのが、実はこの棚橋氏である事実が「孫正義・起業の若き獅子」という本で明かされています。
この時にもう一人、トロン潰しに加わっていたのがソニーの盛田昭夫氏でした。彼は半導体摩擦でも日本企業側の外圧受け入れの動きに主導的な役割を果たしており、プレストウィッツ氏の「日米逆転」によれば、95年春に盛田氏が、日米摩擦の場で半導体の官僚統制を言い出しています。さらに遡る83年の日米財界人会議で、モトローラのガルビン氏が要求した日米業界間談合に、盛田氏が賛同し、その実現向けて協力したのだそうです。
日本人の高まる怒りをマスコミは「アメリカの気持ちも理解しろ」と擁護に務めるのに懸命でした。そして「通商摩擦への波及が心配だ。アメリカを宥めるためには通商協定で譲歩を」と。
日米政府・マスコミの連携による日本人恐喝作戦。実に見事な連携プレーと言う他はありません。
そもそも米の輸入禁止自体、その根拠である「食料安保論」を強力に支援していたのは、他ならぬアメリカ人です。「アメリカを怒らせたら食料を禁輸してやる。飢え死にしたくなければ言う事を聞け」・・・。こういう「輸出国」としての立場を振りかざすような輩に「輸出の自由」を要求する権利が、そもそもあるでしょうか。
アメリカが行った、最も悪質な保護貿易は、為替操作による相手国通貨吊り上げでしょう。「基軸通貨」の地位を悪用し、その地位を任せた「世界」の信頼を裏切っての円高攻撃。クリントン政権は発足当初から「為替を武器にする」と言明していました。そして、押し売り協議で日本が言いなりにならないからと、円高容認の口先介入によって1ドル100円に迫る数値を出したのです。
吉川元忠氏の「マネー敗戦」では、資本輸出国としての地位が金融センターとしての機能を育て、自国通貨に決済機能を付与する・・・というのが、世界経済史の鉄則だと指摘されています。
日銀・大蔵省はそうした変化を怠り、ドル支配下の元に隷属する地位に据え置かれ続ける資本輸出国というグロテスクな状況を生き延びさせたと・・・、そうした官僚の罪を厳しく糾弾していますが、何故そのような事になったのか。アメリカの「日本の金融パワーを押さえる」ための様々な政治工作、その背後の「支配国としての地位の延命」という確固としたアメリカの国家目標を考えれば、「日本の脅威・ドル支配の危機」を排除するために「円の決済機能」を実現させまい・・・というアメリカの圧力があった事は言うまでもない。
こうなってしまったのは結局、その背景にあるのは、自省の利益のためなら国益を犠牲にする、巧妙に隠された官僚の背信行為であり、外国との不透明な癒着です。それは厳罰に処すべき犯罪行為ですが、それを国民が止められなかったのは何故か?結局、彼等が最も苦慮したのは国民が反発する可能性でした。だからこそ、それに対する目眩ましとして、口先では棚橋氏自身、「20%を約束した覚えはない」と言って、抵抗の素振りを示し、実際には正反対の事をやっていたのです。
伊丹氏は、アメリカによる「日本企業はアメリカ市場に依存して儲け、国内を閉じている」という言いがかりをデータによって廃し、半導体市場が元々極めてローカリティの高い性格を持っているのだ・・・という事実を明かしています。だから日本メーカーが本当に依存しているのは実は日本国内市場であり、アメリカに対する輸出というのは、アメリカメーカーが安易な工場移転による不良品増加で自滅した結果に過ぎない。その一方で、国内に強力なライバルのいる日本市場でアメリカメーカーが高いシェアを取れないのは自然です。それを無理に「シェア増加」を要求すれば、無理が生じるのは当然なのです。だからこそ彼等は「日本ユーザーが欲しい品物」を作るのをサボり、そのツケを日本企業に押しつけることで、余計な労力を使わせて出血を強いて日本企業を潰したのです。
http://1234tora.fc2web.com/kuniuri1.htm
■「TPP=自由貿易」の嘘
「日本で米国のクルマが売れないのは、非関税障壁があるからだ。日本政府の責任で輸入台数を保証しろ」と要求している。
屁理屈というか「いいがかり」でしかない。日本市場の売れ筋は2000cc以下の小型車だ。このクラスで日本で売られている米国車はシボレーのソニックだけ。それも評判はいまいちだ。フォルクスワーゲンやBMW、ベンツなどドイツ車は売れている。
外車の販売は年間25万台から30万台だが、アメ車は8000台から1万台しか売れていない。日本のユーザーが魅力的と思うクルマを作っていないから売れないだけだ。
それを「非課税障壁」のせいにする。日本人の感覚では「そんな恥ずかしいことを言ってはダメ」だが、米国の交渉チームは堂々と屁理屈を並べる。
「輸入枠」とは、日本政府の責任で買い付けを保証しろ、と言っているのだ。商品力の乏しい自国製品を、相手政府の責任で買わそうとするのは、世界でアメリカぐらいだが、こういうワガママを、これまでの日米関係が許してきた。今回は「TPPへの入会金」として求めてきた。
日本は1981年、米国に輸出する自動車の台数を168万台とする「自主規制枠」を決めさせられた。通産省とUSTRが交渉して「輸出枠」が決まり、通産省が自動車会社ごとに輸出台数を割り振る、ということで米国の要求に屈した。
自動車業界が強くなり官民の力関係が変わり、特にトヨタ自動車は通産省の言うことを聞かなくなっていた。天下りを排除する動きさえ出ていた。ドル箱の米国輸出を役所が握ることは、通産省の力を増すことにつながる。
業界では「日産の退潮」が始まっていた。トヨタに完敗し、米国でホンダの追撃にあっていた。「自主規制」を受け入れた時の日本自動車工業会会長は、日産の石原俊社長だった。米国での販売数を固定することは「衰え目立つ日産」に都合が良かった。シェアを維持しようと安売りすれば、利益は減る。国内はトヨタに対抗して無理な販売を続け大赤字になっていた。
自動車業界が元気だったころ、「軽」は1ランク下とされ、業界で「差別」された車種だった。それが今や売れ筋のど真ん中に位置するようになった。
ズズキとダイハツが強く、トヨタも日産も独自の軽を持っていない。ダイハツはトヨタのグループ企業の一つで、国内ではスズキに競り勝ち、軽のトップに上り詰めた。グループの軽部門を担っているが、トヨタにとって大事なのは販売の主力である小型車だ。税制で有利な軽の価格に引きずられ、十分な利益を稼げない。冷え込む国内市場で、軽の優遇は目障りに映る。
本丸は、日本の自動車メーカーに「輸入枠」を認めさせることだ。8000台しか売れていないアメ車が5割り増しになっても1万2000台である。421万台(2011年)売れている日本市場で誤差程度の話だ。大手メーカーにとってみれば、端数のようなアメ車より年間152万台(同)売れている「軽」の方が悩ましい。
http://diamond.jp/articles/-/16156